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■第一章 証言 メシマコブでがんが消えた
※以下は本書の内容を要約したものです。
四ケ所も癌が発症


 45歳のとき、胃癌で胃の全摘手術をしました。その後は抗がん剤、超音波による臓器の検査、血液、大腸の検査等で再発のチェックをしていましたが、再発の心配はほとんどありませんでした。しかし、果たしてこれで十分なのかなと思い、家族の勧めもあってプロポリス、アガリスク等癌に聞くといわれるものは何でも試していました。回復は順調で、大好きだった登山が再開できるほど元気になりました。
 手術から9年後、肋骨にガンの再発が発見されました。ガンは胸膜にも転移していて、手術ができないほどに進行し、治療は放射線で痛みをとるしかなく、癌の痛みと、副作用に悩まされました。そんなとき、代替医療を併用している病院を紹介してもらい、そこでメシマコブを勧められました。粉末の「メシマ26710」朝晩二グラムずつ飲むだけ、治療はこれだけでした。ところがこの治療が効果を発揮し始めて、肋骨の晴れはすっかり消えてしまいました。痛みはとれ、よく眠れるようになり食欲も出てきました。
しかしその後、大腿骨へ骨転移、肺への転移が発見され、「血管内治療」という、従来のガン自体を攻撃する強い治療ではなく、がん細胞に栄養を与え養っている「血管新生因子」の生産を止めるという、治療がはじまりました。しかし、この治療はびっくりするほど効果がありました。治療のたびにガンが退縮していき、胸の痛みがなくなっていきました。この治療は体の免疫力が活性化していないと効果が薄く、しかもゆっくりと効果が出てくるわけですから、身体の免疫力を持続させておく必要があるのです。しかし、メシマコブの免疫力を活性化させる効果で、体力を維持し、血管内治療をサポートし、癌はほとんど消えてしまったのです。
 全身4箇所にもガンが発症し、それもすべて相当進行したガンだったのですが、現在すべてが完治したわけではありませんが、仕事も復活し、通常の生活ができるまでになりました。
メシマコブを知ってから、このガン戦争に勝利する道が大きく開けました。この勝利を完結するには地道な治療と、メシマコブを飲み続けることであると私は確信しました。


メシマコブが手術に耐える体力をつけ、予後の感染症も防いだ


 私は、77歳で下顎骨に最も進行している悪性腫瘍が発見され、入院して放射線治療と化学療法を施し、癌を縮小させた後手術で摘出することになりました。
しかし、息子からメシマコブを強引に勧められ、治療開始の2週間前から、「メシマ26710」を、朝夕の1日2回1グラムずつ食べていました。
 ほとんどの場合、抗がん剤、放射線の副作用で痛み、体力の消耗、白血球の減少などが誘発され、途中で治療を中止せざるを得ないか、体力が回復するまで延期する事態に追い込まれ、予定通り進まないそうですが、私の場合副作用もなく治療は進み、強い薬により発症するはずの口内炎も、症状が現れなかったため、食事も普通に取れたため体力の低下もなく、縮小したガンを取るために、1ヵ月後に十時間の大手術を受けました。
 歯肉の腫瘍と顎の骨を削り取り、骨のかわりにチタンのプレートを埋め込み、歯ぐきは左手首の肉を移植、リンパ管への転移を考え、首の後の太い筋肉も前部取りましたが、手術後の体力低下による感染症もなく手術は成功し1ヵ月後に退院しました。
退院後は化学療法無しで「メシマ26710」だけを食べ続けています。手術して1年以上経ちますが、全く異常はありません。もちろん転移の兆候もありません。


余命1ヶ月のところが、メシマコブのおかげで、普通の生活が一年間送れた。


 肺がんのW期で、余命1ヶ月、手術をすることも不可能と診断された父は、入院して抗がん剤と放射線治療を中心に行なうことになりました。
 私は仕事で、雑誌で癌の特集記事を担当し、メシマコブが抗がん剤の副作用を軽減して、免疫力を高めるためには他の食品や薬品より有効であることを知っており、父に「メシマ26710」を1gずつ1日3回計3gを水と一緒に飲ませることにしました。
 メシマコブのお陰か、父は副作用がでませんでした。嘔吐や痛みもまったく訴えず、食欲があったためか体重減もありませんでした。症状的に癌の進行が止まっている状態だったので、45日間の入院から自宅療法にきりかえました。
 自宅療法は、定期検診を受ける他は「メシマ26710」を食べるだけでしたが、第W期の肺ガンはどこにも転移の兆候は出ず、3泊4日の旅行にも行けるほど体調も体重もほとんど変化はありませんでした。
 しかし、7ヵ月後、父は突然呼吸が苦しくなって再入院、再び放射線治療と抗がん剤の点滴が復活しました。病状は一進一退。しかし身体はいたって元気で、食欲もあり、痛みや倦怠感もなく、退院して再び自宅療法になりましたが、2時間ほど外出はできるほど元気になりました。
 癌告知から1年後、父の状態は急変し、すぐに治療が行なわれましたが、メシマコブを飲ませようとしても戻してしまい、食事も取れなくなりました。
 父は、3度目の入院から10日後に亡くなりました。
 「癌に侵されたことは不幸だったが、最後まで人間らしく生きられたことは幸せだった。」
 これを可能にしたのはメシマコブだということは、私をはじめ、家族全員が確信していることです。

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